随想

とんぼ玉の神様

 神様なんて信じないけれど、とんぼ玉を作る人は皆、心の中に神様がいます。
 上手く作ろうとか、みんなを驚嘆させようという下心で作ると、神様が邪魔をして失敗します。
 平静なこころで、素直に作ると「あれ?」というほど上手くいきます。
 神様はバーナーに向かっている時間が長いほど喜びます。
 しばらく作っていないときは、神様に御挨拶しないとたいてい失敗します。
 心の中のとんぼ玉神は厳しくて優しいのです。


ガラスの神様

 ガラスにも神様が宿っています。急に熱したりすると怒って爆発します。
 冷たい鏝で押さえると顔にしわを寄せていやがります。
 そう、ゆっくり冷ましてあげないと、「フン」とばかり割れてしまいます。
 飛び散ったガラス、失敗玉は可哀想です。私の未熟な腕のせいで、みじめなガラス屑になってしまいました。
 ガラスは捨てないで、とっておきましょう。私のガラス屑入れからは、そういうガラス達の不満不平が聞こえてきます。
 だから、心の中でいつも謝っています。ガラスの神様、ごめんなさい、と。


ボンちゃんのこと

 あるHPでボンちゃんに出会いました。ハリセンボンの赤ちゃんでしょうか?
 その愛嬌ある可愛いデザインにすっかり惹かれてしまいました。心が癒されます。
 どれほどデザインが大切である事を教わりました。
 原作者めありーさんのアドレスはhttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3798/blueoasis.html


さくらのこと

 桜には魔力があります。自分が日本人である事、潔いさっぱりした人間であることを思いおこさせてくれます。
 5枚の花びらが、なんと蠱惑的なことでしょう。淡いピンクがなんと映えることでしょう。
 どんな地玉にもさくらの花は凛々しく咲いてくれます。多くの作家の方がさくらを手掛けたように、
 私もさくらを作りました。そして一生さくらを作り続けるでしょう、多分・・・。


師匠のこと

 弟子入り志願してから、一貫して優しい指導をいただきました。
 先生の作品はなんともいえない味わいがあり、もちろん人気もあるのですが、
 どうしてあのような作品が出来るのか、理屈っぽい私はしばしば自問自答していました。
 しかし、師匠は「技術的な事は教えられるけれど、感性はあなたの個性ですから教える事は出来ません。
 自分の感じたままにお作りなさい」と常々おっしゃっておりました(というか、そのように感じました)。
 すなわち、とんぼ玉の本質は、作る人の感性を表すものであり、各人各様で、それがまた面白い、
 ということなのですね。絵心の無い私には、ある意味で大変つらいことですが、
 反面「可愛いもの」「綺麗なもの」が本来大好きである自分を引き出すためには、必要な葛藤だったような気もします。
 ある時期から、師匠の真似は止めました。自由創作になってからは、好き勝手に作っていました。
 教室では師匠はいつもにこにこしながら、私の作っている所を時々覗いては、なんの言葉も無く去っていきました。
 私は声を書けて欲しくて、不満でしたが、
 良く考えてみると師匠は私が心のおもむくままに作っているなら邪魔すまいと気づかってくれたのだと思います。
 私には本職で、ひとり、もう一つの趣味で二人の師匠を持っていましたが4人目の師匠に巡り合えて幸せです。


カリキュラム

 教室にはカリキュラムがあります。入門してからは、カリキュラムに沿って、技法を教わる訳です。
 50才を過ぎてから始めた趣味ですから、若い頃とはわけが違います。予習復習は、十二分にしました。
 教室で教わった技法が、その場で出来た事はほとんどありません。細く引いたガラス棒で玉に自由に線を描く事は、
 物凄く苦手で、「こんなの、できるわけないよ〜〜」と思いましたが、悔しいから夜っぴて練習しました。そして、
 次の週には完璧に出来るようになりました。カリキュラムはきつかったけれど、1週間の復習期間があり、
 その間になんとかものにすることがでたのです。思えば、学校でもこんなに真面目に予習、復習はしなかったなあ、
 と苦笑しています。点打ち、戦国玉。難しかったですね。はやく、花のパーツを作りたかったのですが、
 我慢して点打ちの修行をしました。点打ちのコツは、正確に打つ事では無く、素早く引いて炎で切る事。
 炎で切る感覚は大事ですね。基礎になる技術は、いくらでも応用がききます。そして、基礎を学びながら、
 実はガラスの持っている本来の性質が少しずつ身につくのです。師匠に出会う前に、
 見よう見まねでケーンを組み合わセてパーツを作ろうとしましたが、できる訳がありません。
 どんな技術もはじめの一歩からですね。

工具のこと

 もともと模型作りには30年以上のキャリアーがありますので、
 入門したときから技術を磨くより工具を工夫する悪い癖があり、
 師匠にはかなり迷惑をかけたなあと反省しています。木彫の一刀彫のように、
 少ない工具で素晴らしい作品を作るのが工人の真骨頂でしょうから、
 乏しい技術を工具で補うことは技術進歩の妨げになると言えましょう。
 反面、近代工業は工法の技術革新がその進歩には欠かせないわけで、
 効果的に良い工具を活用すればそれなりに技術も進歩するのかな?とも考えられます。
 一つの例がピンセット。師匠は簡素なピンセットでパーツでも細引棒でもヒョイ、ヒョイと
 摘まみ上げては組み立てていきます。よしっ!とまねをして組み立てようとすると、
 ピンセットでパーツは飛ばすわ、細引き棒は落とすわ、惨澹たることになります。
 およそ、落としたパーツを拾い上げるころには全体が冷めていますから、あわてて炎に入れると、
 はじけて泣きを見ることは必定です。9割方成功していたのに、最後のパーツを落としてしまい、
 失敗したこと、あるいは思うようにつかめなくて冷まし過ぎた悲劇を何回か経験して、
 おめおめと引き下がるわけにはいきません。模型の世界で真珠用のピンセットが、
 部品を飛ばさずに便利なことから、とんぼ玉にも応用できるかなと、
 ピンセットの先をグラインダーで凹型に凹ませたら、便利、便利! 嬉しくなってしまいました。
 特許をとるほどのことでもありませんが、特殊形状ピンセットとして、
 お友達にも配付してその高性能を確認していただきました。
 この他、いろいろオリジナル工具を考えるのもとんぼ玉作りのひとつの楽しみかなと最近は開き直っています。
 最新の工具はカーボン板のVブロック。花のパーツ作りには欠かせなくなりました。(23,Mar.2004)

工具のこと(承前)

 さて、炭素を固めたカーボン材はガラスと高温でくっつかないことから、鏝や台等に広く使われています。
 このうち、カーボンの鏝は汎用されているものの、入手が困難で高価、好みの形状が無いといった難点がありました。
 師匠が自作したカーボン鏝を欲しくなり、板材を買い込んで鏝に仕上げたのが、この何の変哲も無い板状の鏝です。
 カーボン板は特殊な工具で切断しましたが、切り粉がまっくろで、工作台が汚れてしまい往生しました。
 その後、教室の仲間からもたのまれて2、30本作ったでしょうか?皆さん、持っていますね。
 ところが、最近案外このカーボン鏝を使わなくなりました。多少技術が進歩したのか、
 ガラスが赤熱した状態で鏝をあてることは稀で、ガラスがほんのり赤らんだ状態で鉄の鏝で
 十分作業が出来るようになり、カーボン鏝はほとんど転がす台になっています。やはり、師匠の諭しのように、
 工具は簡素で十分なのですね。先日有名な作家である「しまーさん」こと、上村さんのデモを見学していたら、
 なんとパーツを押し込む(象眼)のに、食器のナイフを使っていました。師匠に伺ったら、
 案外使い易いのだそうです。要は、使い易いのが一番なのですね。                  (30,Mar.2004)

K君のこと

 K君と出会ったのは彼が小学5年生の時と記憶しています。親子で教室の見学に来ていました。
 「習いたいのはこの子なんですよ。まだ早いと思うんですが、どうしてもというので・・・」という、
 親御さんの話が小耳に入りました。さすがに師匠も「そうですね、土曜日はあいていないので、
 別な教室を紹介しましょう」と、及び腰。私は彼が脇でじーっと見ていたので、
 覚え立ての細引きを作ってプレゼントしました。風のたよりに、K君は別な教室でとんぼ玉の勉強を始めた
 とのこと。翌年の教室展で、お会いしました。驚いたのは、K君の最も気に入った玉が私の作だったのです。
 まだ、入門して1年にもならない私は、すっかり嬉しくなり、
 「バーナーが無いのなら、わたしのところでいつでも作りにいらっしゃい!」と声をかけました。
 以来、時々は私の工房で小学生が玉作りをする風景が見られました。小さいので、
 立って作る光景はなんとも可愛らしく、また頼もしく思いました。決して私の技法は教えず、
 自分の教室で習った事をするよう指導しました。6年生の時はとんぼ玉の作り方の研究で夏休みに
 市長賞をとりました。最近はサッカーに打ち込んでいるのか、ごぶさたぎみですが、
 とんぼ玉は続けるとのことです。あと、10年後には日本一の作家になるのかなあ、
 なんちゃって妙に期待しながら、息子のようなK君を見守っています。     (30,Mar.2004)

評価

 教室では、最後に本日の作品を見せあって、品評会みたいなことになります。
 出来の悪い玉はさっさと仕舞いこんで、どこか見どころがありそうなら、
 教室の皆さんに見てもらうわけです。そして「わー!綺麗!」とか「○○さんらしい玉だねえ!」
 といった言葉が飛び交います。「どうしてこんなに綺麗に作れるの?」等の言葉に
 「いやあ、大したことは無いですよ」と答えつつ、内心「ムフフ・・・」とほくそ笑むわけですね。
 そう、辛口の評価は絶対と言っていいほどありません。「ここは、こうした方が・・」といった評価は、
 極めて慎重に言葉を選んでなされます。こういった優しい評価で、密かに勇気づけられ、「よし、頑張ろう!」
 という、気分になるわけですね。ここからは、あくまで推測ですが、プロを目指す方となると、
 そうはいかないでしょうね。甘口の評価では、上達しません。少し歪んでいても厳しく指摘されるでしょう。
 しかし、厳しい評価は明日の向上に役立つわけで、「適切な」というただし書きが付きますが、
 厳しい評価も受け止める人の気持ち次第では、有用ではないでしょうか?
 誉められて上達するのがアマチュア、叱られて上達するのがプロ、ですから、
 厳しい評価はそれだけプロに近い見方をしていただいたと、前向きに受け止めたいと考えています。
 一念発起、秋のフェスティバルにブースを申し込むのも、そういった色々な評価で、
 多少とも刺激を頂けるなら、という気持ちからです。恥をかいても、上達できるのならと
 勇気をもって出品します。(9,Apr.2004)


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